不動産、歴史・法律を考える場合の出発点
不動産取引を追いかける。店舗ビルにテナントを入れる仲介、賃貸マンションに借家人を入れる仲介、古家の建っている土地を持ち主とうまく交渉して建売屋に売る売買の仲介、知人のマンションを売ってあげる仲介、旧耐震ビルをどう改修するかについてのオーナーへのコンサルタント、さらには良さそうな物件を自分で買って、改善して売る。まことに不動産業は多様で、また一つ一つにエネルギーがかかる物です。こういう仕事を我々は何故やっているのか。
そもそも何のために。好きだからやっている、楽しいからやっているという人がいる。そういう面もあるだろうし、またそれが無くてはどうしようもないだろう。しかし、はたしてそれだけだろうか。人間は、それだけで満足する者か。そう考え、また自分自身の内面に思いをはせた場合、やはりそれだけでは説明できない現実に突き当たる。やはり、人は、頭の中で色々と考えるものなのだ。どんな汚い風体をしているおじいさんだろうが、蝶よ花よともてはやされる絶世の美女だろうが、みんな同じように頭の中で考える。
落ち着いて考えると、多くの人は自分を作った絶対者、あるいは大宇宙の根源のようなものの存在に気付く。自分は自分の力でこの世に生まれて来たのではないからだ。そして人生の相当多くのことが、自分にはコントロールできない要因によって決定され、自分はその上で走らせられていることに気付く。そもそも、次に自分は何を考えるのかと言う事すら、自分には決定できない。普通の人は、こうして絶対者、大宇宙の根源を直感的に感じ、時にそこに思いをはせる。しかし、この存在は決して単純には温かくない。
これは一つの宇宙を貫く原理のようなもので、かなり客観的なものである。分かりやすく言うと、ある人がその人がやるべきと考えていることについて、そのことの一面しか捉えていずに無理矢理に突き進んだ場合は多くの場合失敗する。技術的な側面ばかり見て、それを押していけば何とかなると自分に無理やりに思いこませて物事をやって行った場合、多くの場合は失敗する。死ぬ場合もある。人に対する感情でも、自分の本心を知っていて、分かっていながらそれと違う行動をしている場合、多くの時は破たんする。
宇宙の原理に従うためには、相当に深く考え、感じなければだめで、努力を要するのである。結果的には全力で努力して、成功するか、あるいはそこまでいかなくとも何とか生きていけるかと言う話です。大宇宙の原理は客観的なので、ただ祈ったり、思いにふけったりするだけではだめで、現実社会で、自分の行動で闘わなければその原理の上には乗れないということです。このことを知ることが、不動産、あるいはそれ以外の多くの仕事を遂行していく場合の出発点です。
人間やるべきこと、あるいはやりたいことは必ずしも仕事だけではない。勿論、仕事をして、金を儲けること、あるいは収入を得ることは根本的に重要な事ではあるのですが。結婚すること、子供を作ることも非常に重要で人生の喜びです。これも大宇宙の原理の上に乗っています。友人がいること、社会活動をすることもそれなりに意味があるでしょう。こういう大宇宙の原理をよく見て、考え、時に思いをはせて、一生懸命にやることが、仕事、人生の出発点です。手を抜いてごまかせば、必ずこの原理はそれ相応の反応をもたらします。誰でも、仕事やそれ以外のことで、自分でうすうす分かっていても全面的に対応しなかったために、生死の境に立たされたことや、失敗に至ったことがあるはずです。
常に考えて努力することが人生の出発点、そしてそれが深まっていくところに宇宙の原理に乗った喜びがあります。人のために努力するということも大事なことだとは思うが、それが宇宙的な原理に乗っているという充足感が無ければならない。また、その人の社会的な評価も、本当はあまり重要ではない。大宇宙の根源との対話が無くて、いくら人に評価されようが何の意味もありません。私はこういう考え方を、歴史、法律を考える場合も貫こうと思っています。特に、歴史上の人物が、それぞれこういう大きなものとその本心でどのようにかかわりあっていたかに大いに興味があります。今回は不動産と言う出だしにして、更に我々の生を考える場合の根本に、ちょっと哲学的に迫ってみました。
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